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サンフランシスコの新聞社に勤めていた1980年代、私はエイズ関連のプロジェクトを担当したことがある。サンフランシスコに住んでいたら、特にあの時代、何が起こっているかなどわかるはずがなかった。エイズは非常に速いスピードで広まりつつあったが、当時はまだ事の重大さは認識されていなかった。何が起こっているのかわからないなかでは、それを理解しようとする人もいれば、他人を遠ざける人もいる。長い間、そんな状況が続いている。
1990年代に一度私はペルーに行ったことがある。ペルーの人々が会ったときに交わす抱擁、家族との強い絆に私は感銘を受けた。HIVがそれを変えてしまうのか私にはわからなかった。エイズはおそろしい病気だが、彼らはどうやってこれを乗り越えるのか?エイズは大変な重荷である。当然、私が取材したほとんどの患者にとって、自分がHIV陽性であることはおそらく最も親しい友人以外には誰にも言えないことだ。家族に打ち明けるかどうかが常に問題になるが、家族が非常に重要視される地域ではHIVに感染していることなど言えず、それがさらに悲劇を増幅させる。
私は何を期待していいのかわからなかった。私は、この治療がうまくいって彼らがよくなるように願った。我々は非常に早い段階で彼らに接触したので、事態が良い方向に進む可能性は強かった。そして彼らの回復を目撃したのだ。彼らとの再会はまるで、苦しみの後に見えてくる一条の光のようだった。実際に彼らがどのくらい回復したのかを確かめるのが二度目の取材のハイライトだった。「向こう側へ突き抜けた感じ」―治療が効く!彼らにとって、これは天の恵みだ。
このような取材やプロジェクトの仕事をするたび、そのテーマを持ち帰ることになる。明確な選択肢などないからだ。紛争取材のときと同じである。取材したテーマは一生自分の中に眠り続ける。可能なところには支援できるように、私は長期にわたって影響を与えるような仕事をしたい。それが人生の冒険だ。
― イーライ・リード |